自分の歌について

きょうもまったり。@KANA

自分の歌について、最近気づいたことがあったので、
メモ代わりに書いておくことにします。
(考え事カテゴリーと悩んだのですが、ひとまずは活動カテゴリーとしています)
最近、とても久しぶりに、本当に久しぶりに、
私の心がまだ歌うことを欲していて、
決して私が歌うことにより傷つくことを予想もしていなかった頃の音源を聴きました。
あ、正確には、歌を歌ったその瞬間(そのLIVE・パフォーマンス)において、
歌うことに恐怖を感じるようになった、音源ですね。
要するにLIVE音源です。回りくどい書き方ですみません^^;
そのLIVEでは、ステージにたったその瞬間から、
いつも通りのパフォーマンスができなくなっていました。
約2年半前のLIVEです。
それ以後のLIVEはそれはもうずたぼろで、
去年も1回、今年に至ってはLIVEすら参加しませんでした。
音源を聴いていて思ったこと。それは。
恐怖が声に出ているということ。
怖がっている自分の声が如実に表れているということ。
生モノは恐ろしいです。
それがそのまま観客のみなさんに伝わってしまうのですから。
それが原因なのか、昔からの癖なのか、
他のメンバーのリード(歌詞部分)はちゃんと言葉として聞こえてくるのに、
私のリードだけ、流れるように右から左へと過ぎ去っていきました。
何言ってるのかわからず、言葉になっていない感じです。
いや、歌っているには歌っていますが、心に響かないというか感じないというか。
そりゃもちろん、本人が楽しんでないからそうなりますよね。
で、そのLIVE音源を聴き終わった後、
私はぼけーっとTVの音楽番組だったり、持っているCDを聴くようになりました。
特に意識はしなかったので、何となくです。
でもそこであることに気づきました。
プロとして表舞台に立っている歌手の歌い方は、
みんな、言葉として、ちゃんと歌い上げている。ということ。
意味のある言葉としてです。
私のように意味もないただ音の羅列の歌には聞こえてこないということです。
アカペラを始めたころに、よく言われました。
「KANAちゃんは、合唱出身だからかもしれないけど、流しそうめんだよね。
 なんていうかながれていっちゃう。ちゃんと聞き取れない」
その後だいぶ苦労をして頑張ってきたつもりでしたが、
今、マシだったころの最後の音源をきいても、全然マシじゃないです。
そのまま、流しそうめんです。
でも、このことに気付いたからこそ、
もし、私が今、アカペラに復帰できたら、
確実に私自身に変化が起きて、歌い方が変わるだろうと思います。
そんなことを思っていた今日この頃。
カラオケのときにでも歌い方研究してみるかなー。

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