深いような浅いような考え事。
疑問符だらけの考え事。
「重たい話は苦手」という方はスルー推奨です。
申し訳っ><;
■前置き■
これは自分にも言えることであり、
すべての人間や生き物に言えることだと思うんだけれどね。
■内容■
具体的に目標を立てて即行動する人
自分に自信がなくてあまり行動に移せない人
人に対しての「好き嫌い」をハッキリさせすぎてしまっている人
色々と考えているうちにふさぎこんでしまう人
などなど
本当に多種多様な考え方があり、生き方があると思う。
同じ日本語を使う日本人だけでも、考え方はバラバラなのに、
別の国へ行けばもっともっと違う考え方の持ち主だっていて、
本当にいろいろな人に出会えると思う。
ある程度の「人に対しての好き嫌い」はあって当然だし、
ある程度の「ネガティブな思考」もあって当然だし、
ある程度の「上を目指す野望」もあって当然だと思う。
でも、どれも「ある程度」の度合いを超えると、
「自分の中の人に対する基準」をもって「この人ちょっと・・・?」って思うってしまうよね。
この世界はあらゆる欲望が飛び交っていて、
この世界はあらゆる慈悲が飛び交っている。
今、この時代は、「偽善だ」とか「行動できないやつは屑だ」とかいう考えが、
若い層を中心に蔓延っていると思うんだけど、
本当はそうじゃないよね?
この文章を打っている本人も、何が何だかよくわからないまま書いているのだけど。^^;
もしかしたらこの文章自体も「偽善だ」とか言われるかもしれない。
それでも、もうちょっと「周りにどんな人がいてどんな風に接すればいいのか」
考えてほしいと思う。
できることなら「自分の中の人に対する基準」の枠組みを
もう少しだけ広くして、寛容になってほしいし、自分もなりたいと思う。
「人の為とかいて【偽】と読む」
とはよくいったものだけど、
人の為に奉仕する人の中の気持ちのほんの少しの何パーセントかは、
やっぱり「自分の気持ちの整理のため」になってしまっていると思う。
(ここで誤解しないでほしいのは、ここで使った「自分の気持ちの整理のため」とは、
過去、人を助けられなかった自分を、今、人を助けることで、自分自身を救おうとする行為での意味です。)
でもそういう気持ちもあっていいと思うし、あって当然だと思う。
奉仕を始める人の動機の一つに、こういう気持ちが強い人って多いと思うんだ。
痛みも、哀しみも、すべて受け入れてくれている寛大な地球のように、
人間も、もう少しだけ他の人たちや生き物に対して、寛大になれたらいいよね。
……と、ある文章を読んで思った、自分の戯言。
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