人が感動する作品は、必ず何かしらのルールにのっとっているそうです。歌が下手な人の歌を聴いているのに、何か心が揺れ動いて感動するとき。あまり上手に描けていない絵画を見たときに、何か心が揺れ動いて感動するとき。人が喜んだり、感動したりする時のルールが神様によって設けられていて、たとえば何かの作品の中に少しでも、感動のルールに当てはまる何かがあれば、その作品に触れたとき、人は感動するんだそうです。神様が至極だと設けたその枠に、人間が触れて共鳴したとき、人は感動するんだそうです。って、受け売りですが^^;似たようなことでこんなこともある。世界の何か(物語や人に言われて傷つく言葉)に共鳴して揺れ動かされて自分が不安定になったとき、自分の中に、調律された絶対音感(もちろんたとえなので音感じゃなくてもいいのです)をもっていれば、世界によって揺れ動いたこころを、自分のこころのなかにある絶対音感で調律しなおすことができれば、不安定ではなくなる、ということ。「相対音感で自分を保ってるから、不安定になる。 自分の中に自信−絶対音感−を持っていれば、調律しなおすことができる」のだと。「基音(ルート音)=自分の絶対的自信」を持つことができれば、不安定にならなくても大丈夫なんだって。だいぶ、自分的メモになってしまいましたが^^;このお話は、どこかで、もらったものなので、私も、どこかで、伝えようと思います。「これは、ある人から教えてもらったことなのだけれどね・・・?」
感動の。

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