こんばんは、KANAです。
今日は眩暈がものすごく酷いです。
家の中でもたまにふらつく・・・。座っていると幾分かましなんですけどね。
今日は小野不由美さんの文庫「ひ(不に一)緒の鳥」より、
”落照の獄”を読みました。
最近手元にある文庫はライトノベルが多いのですが、
こういうときに限って読みたい本は多少難しい漢字が使ってある重たい本(笑)。
とある極悪人への判決を最高裁判所のような機関が、悩みに悩みぬいた末に結論を出す。
ただそれだけの短編なのですが、とてもよく描かれていたので感想をブログに載せますね。
そしてついでにズートピアの感想も(マテ
ネタばれ禁止の方はこの先読んではいけませんよー。
主人公は最高裁判所の裁判官のような立場の人(役職は秋官)。
もちろん最終的な判断を下さねばならない立場です。
彼は、赤子を含め過去23人を特に理由もなく殺してきた超極悪人を裁かなければなりません。
国は王政なのですが、王は「秋官3人に任せる」というだけ。
しかしその王も、過去には「殺刑をなしとする」とした勅命を出していました。
殺刑を行ってこなかった期間が長い。しかし世間の声は殺刑を望んでいる。
そういった状況下のお話。
殺人を犯した人間に殺処分を下すという、簡単な話でいいのだろうか?
という読者への問いかけを、この短編ではされています。
私は難しすぎて読み終わって数分たったいまでも結論をだせずにいます。
結果としては、殺刑を望んでいた超極悪人の望み通りになり、
そこがこのお話の締めなのですが、
文中では望みを叶えることになった極悪人を勝者と描き、
悩みに悩んだ末判断を下した主人公を敗者と描いています。
それが彼女の話の面白いところかなぁ。と。
絶対に相容れない考え方ってあるなと。
自分の世界を守るために相手を一時的に排除するんです。
でも、それはほんの僅かな時間だけ。
いつかまた似たような考え方に遭遇しますよね。
自分の世界では整わない考え方に。
一方では、ちょっと似た問題提起をした映画がありますね。
ディズニーにより映画となった”ズートピア”は、”差別のある世界”を描いていました。
”ズー”トピアと表現しているように、動物の社会を描いています。
それも面白いくらいに、人間社会に似せた動物社会ですね。
人間社会では、白人だから、黒人だから、などの理由で差別がありますが、
動物社会では、肉食動物だから、草食動物だから、という理由の差別が描かれています。
わたしたちのなかにある、相手への見目のみの先行意識。それが酷くなると差別につながります。
今回感想を書いた小野不由美さんの作品では、
どうしようもない現実を突きつけられたものですが、
ズートピアでも最後は丸く収まったように、人間いつでもユートピア(理想の世界)を、
胸に抱いていたいものです。
この相反する作品たちを両方とも愛してしまうあたり、
私も振り切った作品たちを好む傾向があるのかもしれません。
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